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臓器移植法改正法案

この臓器移植法案改正案の問題点は、衆議院で可決され現在参議院で議論されているA、B案は生前における脳死段階での臓器摘出および提供の意思表示につき不要とすることで、実際に臓器移植に必要とされる蓋然性の高いしかも意思表示を行えない年齢の幼児の臓器移植を可能にしようとしている点だ。つまり民法上の遺贈の意思表示として認めることのできる年齢15才を待たずして移植を可能にする為、意思表示そのものをいらなくしているのだ。
重要なのは「本人の臓器移植についての書面による意思表示」と家族の同意の必要性を維持することなど97年案より戻らない点なのに、だ。その上で、その意思表示の真意性を可及的に担保するための手続きを整備出来るかどうかである。もちろん、民法上の遺贈の意思表示年齢15才をその基準に維持するのはもちろんである。
「臓器移植のための臓器摘出を医学的にも困難な脳死段階に行ってよいとの本人の書面による意思表示」が真意に基づいたものであるとの可及的な手続き的保障がある場合に、しかも、医学的脳死判定につき最先端技術で可及的ながらも恣意的判定を排除するための基準手続きにのっとることを前提にのみ、脳死判定された死体から臓器移植のための摘出を認める場合もあるというのがやはり実際にあり得る議論かと思われる。あなたの私の臓器はあなたの私のものであり、国家や社会のものではないということを改めて確認しておきたい。
臓器を提供させたい側の異常な需要に合わせ、医学技術的にきわめて曖昧な脳死判定により恣意的に人の死をさらに早められてしまう危険が多いにある。本人により臓器移植のために臓器を提供するとの書面による意思表示および家族の同意がある場合にのみ脳死の段階で死とし臓器を摘出してよいとする現在の臓器移植法からさらに前倒しにする危険である。
さらにA案のように臓器移植の場合でない場合にまで微妙で判定しにくい脳死を無理やり人の死としようとする意味はどこにあるのかといえば移植の為の摘出でなくとも結果としてたまたま移植に使える臓器がでてくるとかんがえられているからだ。しかし、そのような具体的状況限定するどころか、むしろ一般的に脳死を人の死とすることを許容する開かれたままの文言を敢えて議論の中心に据えた意味はどこに・・・・・?そういう意味でいうならA案B案の対立は手品のようなものともいえる。どちらも全くとりえない案がA、B案なのに攻防に明け暮れているのはどういうことなのか?
脳死判定が微妙な上、生きているにもかかわらず生きていることを止められる理由はない。生きる権利があるのであって、しかも、脳死から回復する医学的技術が発達したらどうしてくれるのか?あるいは息をしてくれている家族や愛する人に少しでも生き続けてほしいと思って励みにしながら生きている人たちの権利が侵害されていいのか?という普通の感覚、普通の権利を守ることは大変普通で重要なことだ。ABどちらも全くとりえないのは明らかではないだろうか?
by 7thclouds | 2009-07-02 05:03