犬の話題がつづくけど・・・
2010年 06月 08日
世界初「犬のためのコンサート」、豪シドニーで開催(ロイター) - エキサイトニュース
ときどき、お散歩ついでに映画なんかみたいと思ったりする。
びすけも一緒に映画を観られるような会場があったらいいなと、思うこともある。
まあ、要するに、屋外の、映画館とか、コンサート会場とかだったら、
公園のドッグランの帰りにでも、あったりしたら、それはそれで、
星空で風を感じながら、いいんじゃないかと、おもったりする。
ついこの間も、用事もあっていつものお散歩コースから離れ、
高田馬場のほうへ向かったところ、途中に、ドッグカフェがあってうれしかった。
しかも、ドッグカフェの中が冷房でぴきぴきではなく、なによりも
ノーリードできる。びすけはそれはそれはうれしくて、そのカフェの名物犬?の
トイプードルたちとたのしそうだった。
なんとなくおとななびすけに近付いた感じ?
その先にも、テラスカフェのあるレストランがあった。
びすけとはいってお昼を食べることができた。緑とお日様を感じながら、
普通に犬連れで一緒に食事もできるお店や場所が増えるのはうれしいし、
犬にとっても人間にとっても、すごく普通なことだ。
とりわけ、犬は社会性の高い生き物で、犬どおし、あるいは猫や他の生き物とも、
コミュニケーションをとるのが、とりわけ(人間以上に?)大好きな生き物だ。
お散歩したり、テラスで食事したり、公園を散歩したり、公園にお弁当を持っていったり、
といろいろな暮らしを飼い主とそれこそ人間のように(といういいかたがむしろ変かもしれない)楽しむ。
猫ももちろん社会性があるが、飼い主と一緒に散歩して、
街のいろんな犬や猫たちとコミュニケーションをとるということがあまりないのは、
飼い主とお散歩するという習慣にないためかもしれない。
だけど、もちろん、外に出る猫は猫でしっかりコミュニケーションをとっている。
猫も草花ともお話したりしている。
猫も多分、飼い主とテラスレストランで、のんびり日差しを浴びながら、目を細めていたいのかもしれないが・・・たいていは、おうちでおるすばんか、勝手に独り歩きか、近所の猫と道でねころびながら遊んでいるか?そういう意味では飼い主と一緒にコミュニケーションをとるという機会は猫はすくないのが割と普通かもしれない。
いずれにせよ、言葉を話さないからといって、犬も猫も、鳥も、お魚も、みんなそれぞれ感情が豊かにあり、
社会性の中で、それぞれの気持ちの成長がある。
それぞれの気持ちの交流がある。
以前猫やインコ、熱帯魚等を飼っていた時もそうだったが、
今びすけと暮らしていると、お散歩のときの様子などでさらに
よけいにそのことがはっきりと具体的に伝わってくるかんじがある。
近所のお兄さん犬たちにあたたかく見守られ、
あるいは、おないどしくらいの犬や猫と元気にあいさつしながら、
猛烈にうれしそうにあるく。
みんなとコミュニケーションをとりあうのがなによりもささやかな心からの幸せなのだ。
新しい犬に出会っては、それはまたうれしそうに、私の顔を見上げてほほえむ。
たまにしか通らない道を通ると、一つ一つ確認するかのように、まわりの建物をきちんと観察する。
その道を次に通ると、まかせて、と顔を見上げる -この道なら僕覚えてる。知っているよ:)
というわけで、
人間と同じ言葉をしゃべらなくても、
どの生き物も、感情が繊細で豊かでまっすぐで、やわらかに、世界中とつながっている。
インターネットは使えないが、みんな(人間も含め)彼らにとって、同じ生き物なのだ。
そのことは、とても大事なことだ。
わたしたち人間も、生きものとして、
彼ら人間と同じ言葉をしゃべらないというだけで極めてきめ細やかな知性と感性を持つ「動物」達から、
暖かく平等に大切に扱ってもらっている。
そのことを、人間の側でも大切に感謝したい。
お互いを大切に、尊重しいつくしみあうということは、
なにも、人間間だけであるはずではない。
それは、いわゆる「動物」が人間を差別しないということを考えると、
なんと、人間のほうがむしろ、知性に劣っている生き物かもしれないとすら思える。
さて、犬に向けたコンサートというのが、
いったい、犬だけを対象にしていたのかどうかよくわからない。
が、まあ、確かに犬だけを対象にしてもあり得ない事ではない。
実は結構前に英字でこのニュースを読んだとき、うーん?と、思った。
自分としては、犬や猫などと一緒にコンサートを楽しめるのは素敵なことだと思った。
たぶんびすけだけでなく、たいていの犬や猫は家族の飼い主と一緒に楽しみたいと思っているだろう。
社会的なだけでなく情が深く、人間のほうから「家族」といっているだけでなく、
「動物」のほうでも、家族と思っていてくれるから、飼い主と犬との家族の関係はなりたっている。
というわけで、どちらかというと、飼い主としては、犬と一緒にコンサートを楽しんだと思いたい。
が、もしかして、犬のほうで、今日は、犬だけでコンサートを楽しみたいという日もあるかもしれない。
うーん。
とすると、犬のほうで聞きたいリクエスト曲は人間が聞きたいあるいは飼い主が聞きたい曲とは違うかもしれない。ロリーアンダーソンとルーリードの曲は犬にお気に召されたのであろうか?
sunday morning.... watch out... なんて歌われていたのだろうか?
犬は(猫もだが)はっきりいって、言葉はしゃべらないが、言葉は一定理解する。
とすると、ルーリードのベルベットアンダーグラウンド時代の曲などまで歌詞まできいてたりするのか?
犬も大人になるので、
牧場でたっぷり羊追いの仕事もしてきちゃったなんて犬もあらわれるかもしれない(いるかもしれない)。
ご主人さまを養ってあげるよなんてね。
というわけで、今日は、ご主人さまを置いて、友達(トイプードルとか?)と
コンサートだから気を利かしてね、なんていわれる飼い主も表れるか?
でも、ちょっとだけ気になるのは、犬だけで、コンサートを、ほんとによろこぶのかなーという点である。
ご主人さまと一緒にというのがうれしいのはわかる。
犬はそういうなんというか、一緒に何かするのがすっごく嬉しい気性の生き物だという気がするからだ。
だから、よっぽどでない限り、きっと家族と一緒に音楽鑑賞はなかなか「ご主人さまと一緒に」な
素敵な経験だったのではないかと思う。
きっと、ルーリードやローリーを(ヘルツの高い機械的な音が嫌いそうな犬に対して現代実験音楽ではなかったのではないかと想像するが)ご主人様が好きなら、たいていは気のいい犬のこと、大好きになったことだろう。
ちなみに、うちのびすけは、まず、うるさい音が嫌いである。
したがって、いくら私が好きでも、だめなものはースポーツ観戦。うるさい。その一言らしく、ふいと気付かないうちにそーーーっとテレビからかなーり遠くへ座る。
スヌーピーとかの吹き替えの子供の声など甲高い声もかなり苦手だ。
が、音楽はたいていは聴く。
レッドホットチリペッパーズのライブのDVDでも一応そばで聴いている。
クラッシックも別に特にきらいではないようだ。
聴いているかどうかは不明だが。
いわゆるダンスミュージック、クラブ系のラジオも全然平気だ。
映画もたいていは、だいじょうぶ。
一緒に観てるような感じの時もあるが、たいていはお尻を向けてそばで寝ている。
結論として、我が家の犬の耳には、
スポーツ観戦の観客席からのワーワーはヘルツが高い?ため?
気になるが、あとは、それほど、特に気にならない?
ちなみに、このコンサートはかなり犬に受けていたというし、
低めの音が多いロック好きな犬はやはり結構いるのでは、という気はする。
最近は犬のためのクラッシックCDも売れゆきが好調らしい。
なにをもって犬のためなのかは不明だが、まあ、犬が喜ぶことを確認して編集したということからすると、一定のヘルツが犬にとって心地よいということはあるのかもしれない。
人間にとっても、それぞれ音のヘルツは一定の意味性というか志向性があると思えるけれど、
人間でも好みが違うのだから、犬でも違うかもしれないとか、それでも、
人間でも一般的に好まれる曲はあり、犬にも一般的に好まれる曲があるのかもしれないとか思ったりして、
それなら、と、納得してみたりする。
今朝エクスペリアでアメリカcbsのニュースをチェックしていたら
犬のサマーキャンプがアメリカではやっているというニュースがあってツィッターズした。
なんとなく、微笑ましいというよりも、なんか、実感として、訓練というよりも、犬が成長していく過程で、他の犬と一緒に自然の中でのびのびコミュニケーションをとりあいながら楽しむというのはなかなかではないかという気がした。
記事によると犬を遊ばせるというよりも、むしろ、アジりティーなどをとりいれつつものびのび自然に囲まれて他の犬たちと楽しむという感じが一番犬に評判がいいらしい。
何よりもその記事のいいところは、犬にとって評判がいい自然な感じのサマーキャンプでは
犬たちがのびのびうれしがっているとのこと。
ちゃんと犬側の視点から、犬にとって楽しいキャンプをかんがえているところがいいな、と。
人間だってそれぞれの人間が喜ぶ音楽やイベントがあるのとおなじように、
犬にもそれぞれの犬が喜ぶ音楽やイベントがあるんだと、いう視点がよいな、と。
それから、寝ぼけ眼で、なんとなく思ったものだ。
しっかりね、なんて、びすけの背中にリュックサックを背負わせている姿を自分で想像して、
わたしよりもしっかりもののびすけは、
「だいじょうぶ、自分で寝袋とかちゃんとつめるよ」・・・とかいいそうだなーなんておもったりした。
ときどき、お散歩ついでに映画なんかみたいと思ったりする。
びすけも一緒に映画を観られるような会場があったらいいなと、思うこともある。
まあ、要するに、屋外の、映画館とか、コンサート会場とかだったら、
公園のドッグランの帰りにでも、あったりしたら、それはそれで、
星空で風を感じながら、いいんじゃないかと、おもったりする。
ついこの間も、用事もあっていつものお散歩コースから離れ、
高田馬場のほうへ向かったところ、途中に、ドッグカフェがあってうれしかった。
しかも、ドッグカフェの中が冷房でぴきぴきではなく、なによりも
ノーリードできる。びすけはそれはそれはうれしくて、そのカフェの名物犬?の
トイプードルたちとたのしそうだった。
なんとなくおとななびすけに近付いた感じ?
その先にも、テラスカフェのあるレストランがあった。
びすけとはいってお昼を食べることができた。緑とお日様を感じながら、
普通に犬連れで一緒に食事もできるお店や場所が増えるのはうれしいし、
犬にとっても人間にとっても、すごく普通なことだ。
とりわけ、犬は社会性の高い生き物で、犬どおし、あるいは猫や他の生き物とも、
コミュニケーションをとるのが、とりわけ(人間以上に?)大好きな生き物だ。
お散歩したり、テラスで食事したり、公園を散歩したり、公園にお弁当を持っていったり、
といろいろな暮らしを飼い主とそれこそ人間のように(といういいかたがむしろ変かもしれない)楽しむ。
猫ももちろん社会性があるが、飼い主と一緒に散歩して、
街のいろんな犬や猫たちとコミュニケーションをとるということがあまりないのは、
飼い主とお散歩するという習慣にないためかもしれない。
だけど、もちろん、外に出る猫は猫でしっかりコミュニケーションをとっている。
猫も草花ともお話したりしている。
猫も多分、飼い主とテラスレストランで、のんびり日差しを浴びながら、目を細めていたいのかもしれないが・・・たいていは、おうちでおるすばんか、勝手に独り歩きか、近所の猫と道でねころびながら遊んでいるか?そういう意味では飼い主と一緒にコミュニケーションをとるという機会は猫はすくないのが割と普通かもしれない。
いずれにせよ、言葉を話さないからといって、犬も猫も、鳥も、お魚も、みんなそれぞれ感情が豊かにあり、
社会性の中で、それぞれの気持ちの成長がある。
それぞれの気持ちの交流がある。
以前猫やインコ、熱帯魚等を飼っていた時もそうだったが、
今びすけと暮らしていると、お散歩のときの様子などでさらに
よけいにそのことがはっきりと具体的に伝わってくるかんじがある。
近所のお兄さん犬たちにあたたかく見守られ、
あるいは、おないどしくらいの犬や猫と元気にあいさつしながら、
猛烈にうれしそうにあるく。
みんなとコミュニケーションをとりあうのがなによりもささやかな心からの幸せなのだ。
新しい犬に出会っては、それはまたうれしそうに、私の顔を見上げてほほえむ。
たまにしか通らない道を通ると、一つ一つ確認するかのように、まわりの建物をきちんと観察する。
その道を次に通ると、まかせて、と顔を見上げる -この道なら僕覚えてる。知っているよ:)
というわけで、
人間と同じ言葉をしゃべらなくても、
どの生き物も、感情が繊細で豊かでまっすぐで、やわらかに、世界中とつながっている。
インターネットは使えないが、みんな(人間も含め)彼らにとって、同じ生き物なのだ。
そのことは、とても大事なことだ。
わたしたち人間も、生きものとして、
彼ら人間と同じ言葉をしゃべらないというだけで極めてきめ細やかな知性と感性を持つ「動物」達から、
暖かく平等に大切に扱ってもらっている。
そのことを、人間の側でも大切に感謝したい。
お互いを大切に、尊重しいつくしみあうということは、
なにも、人間間だけであるはずではない。
それは、いわゆる「動物」が人間を差別しないということを考えると、
なんと、人間のほうがむしろ、知性に劣っている生き物かもしれないとすら思える。
さて、犬に向けたコンサートというのが、
いったい、犬だけを対象にしていたのかどうかよくわからない。
が、まあ、確かに犬だけを対象にしてもあり得ない事ではない。
実は結構前に英字でこのニュースを読んだとき、うーん?と、思った。
自分としては、犬や猫などと一緒にコンサートを楽しめるのは素敵なことだと思った。
たぶんびすけだけでなく、たいていの犬や猫は家族の飼い主と一緒に楽しみたいと思っているだろう。
社会的なだけでなく情が深く、人間のほうから「家族」といっているだけでなく、
「動物」のほうでも、家族と思っていてくれるから、飼い主と犬との家族の関係はなりたっている。
というわけで、どちらかというと、飼い主としては、犬と一緒にコンサートを楽しんだと思いたい。
が、もしかして、犬のほうで、今日は、犬だけでコンサートを楽しみたいという日もあるかもしれない。
うーん。
とすると、犬のほうで聞きたいリクエスト曲は人間が聞きたいあるいは飼い主が聞きたい曲とは違うかもしれない。ロリーアンダーソンとルーリードの曲は犬にお気に召されたのであろうか?
sunday morning.... watch out... なんて歌われていたのだろうか?
犬は(猫もだが)はっきりいって、言葉はしゃべらないが、言葉は一定理解する。
とすると、ルーリードのベルベットアンダーグラウンド時代の曲などまで歌詞まできいてたりするのか?
犬も大人になるので、
牧場でたっぷり羊追いの仕事もしてきちゃったなんて犬もあらわれるかもしれない(いるかもしれない)。
ご主人さまを養ってあげるよなんてね。
というわけで、今日は、ご主人さまを置いて、友達(トイプードルとか?)と
コンサートだから気を利かしてね、なんていわれる飼い主も表れるか?
でも、ちょっとだけ気になるのは、犬だけで、コンサートを、ほんとによろこぶのかなーという点である。
ご主人さまと一緒にというのがうれしいのはわかる。
犬はそういうなんというか、一緒に何かするのがすっごく嬉しい気性の生き物だという気がするからだ。
だから、よっぽどでない限り、きっと家族と一緒に音楽鑑賞はなかなか「ご主人さまと一緒に」な
素敵な経験だったのではないかと思う。
きっと、ルーリードやローリーを(ヘルツの高い機械的な音が嫌いそうな犬に対して現代実験音楽ではなかったのではないかと想像するが)ご主人様が好きなら、たいていは気のいい犬のこと、大好きになったことだろう。
ちなみに、うちのびすけは、まず、うるさい音が嫌いである。
したがって、いくら私が好きでも、だめなものはースポーツ観戦。うるさい。その一言らしく、ふいと気付かないうちにそーーーっとテレビからかなーり遠くへ座る。
スヌーピーとかの吹き替えの子供の声など甲高い声もかなり苦手だ。
が、音楽はたいていは聴く。
レッドホットチリペッパーズのライブのDVDでも一応そばで聴いている。
クラッシックも別に特にきらいではないようだ。
聴いているかどうかは不明だが。
いわゆるダンスミュージック、クラブ系のラジオも全然平気だ。
映画もたいていは、だいじょうぶ。
一緒に観てるような感じの時もあるが、たいていはお尻を向けてそばで寝ている。
結論として、我が家の犬の耳には、
スポーツ観戦の観客席からのワーワーはヘルツが高い?ため?
気になるが、あとは、それほど、特に気にならない?
ちなみに、このコンサートはかなり犬に受けていたというし、
低めの音が多いロック好きな犬はやはり結構いるのでは、という気はする。
最近は犬のためのクラッシックCDも売れゆきが好調らしい。
なにをもって犬のためなのかは不明だが、まあ、犬が喜ぶことを確認して編集したということからすると、一定のヘルツが犬にとって心地よいということはあるのかもしれない。
人間にとっても、それぞれ音のヘルツは一定の意味性というか志向性があると思えるけれど、
人間でも好みが違うのだから、犬でも違うかもしれないとか、それでも、
人間でも一般的に好まれる曲はあり、犬にも一般的に好まれる曲があるのかもしれないとか思ったりして、
それなら、と、納得してみたりする。
今朝エクスペリアでアメリカcbsのニュースをチェックしていたら
犬のサマーキャンプがアメリカではやっているというニュースがあってツィッターズした。
なんとなく、微笑ましいというよりも、なんか、実感として、訓練というよりも、犬が成長していく過程で、他の犬と一緒に自然の中でのびのびコミュニケーションをとりあいながら楽しむというのはなかなかではないかという気がした。
記事によると犬を遊ばせるというよりも、むしろ、アジりティーなどをとりいれつつものびのび自然に囲まれて他の犬たちと楽しむという感じが一番犬に評判がいいらしい。
何よりもその記事のいいところは、犬にとって評判がいい自然な感じのサマーキャンプでは
犬たちがのびのびうれしがっているとのこと。
ちゃんと犬側の視点から、犬にとって楽しいキャンプをかんがえているところがいいな、と。
人間だってそれぞれの人間が喜ぶ音楽やイベントがあるのとおなじように、
犬にもそれぞれの犬が喜ぶ音楽やイベントがあるんだと、いう視点がよいな、と。
それから、寝ぼけ眼で、なんとなく思ったものだ。
しっかりね、なんて、びすけの背中にリュックサックを背負わせている姿を自分で想像して、
わたしよりもしっかりもののびすけは、
「だいじょうぶ、自分で寝袋とかちゃんとつめるよ」・・・とかいいそうだなーなんておもったりした。
by 7thclouds
| 2010-06-08 15:54
| 犬とお散歩