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レトリックに騙されるな

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アメリカ最高裁でも争われた事例に生命維持装置の維持の権利の問題がある。私は兼ねてから申し上げていることのひとつに生命の個別性があり個別であるということはつまりその当該個人の意思表示が真意になければその人のいきる権利は誰にも阻害されるべきではない。いきる権利が本来的にあるのみであって、死ぬという行為を権利と構成するのはまずたいてい死んでもらう側の理論であってレトリックにすぎない。しかもオランダの安楽死法案を策定する原動力になった難病の方が後に生きていてよかったと生きていける意義と生き続ける意思を支えられはじめて自分は生きていたかったのだと改めて安楽死法案に疑問を持ち始めるドキュメンタリーを10年前位に観たが、まさに苦しさや家族や周りへの気兼ねから安楽死など考えないですむ環境を整える社会的義務がある。生命が個別であり社会や国家のものでない。ところがその点を逆手にとりだから死ぬ権利があるというのはまさにレトリックであり生きる権利を守るための最善を尽くしていくことが社会に求められるはずだろ
う。個別であることから個別処分性につながるなら死にたいときに自殺手段を与えるのが社会や国家の義務かといえばちがうだろう。なぜなら、やはり生きるのが守られるべき権利であり、死ぬことに「権利」性を国家あるいは社会との関係で認めるような実際的内実はないからだ。死ぬということを権利という程に高めたがっているいわゆる「利益」は実際遺族や本人の気持ちの部分だがまさに気兼ね不安といったものはまさに、むしろ生きる権利の保障と実質化に欠けているところがあるために起きて現れている事象にすぎない点を敢えて看過しあたかも死ぬことに意味があるかのようにすり替えるのはレトリック(いかさま)というか殺すための論理にすぎない。まだ読みかけながらつぎの二冊はいのちの大切さをどうまもっていくのか、というか、本来いのちを守ってくれる側の社会や国家はからいのちを必死でまもらないと守れない時代にどう生きるのか、ということになってしまっている今について改めて問い直しているといえる。
中島みち
尊厳死に尊厳はあるか
森絵都
君と一緒に生きよう は
犬の里親探しに熱心な静岡獣医師会まで行こうとして中型犬ばかりであること、できるだけ静岡県内の里親に出したおうちに近い方がいいだろうことからあきらめた経緯のある私にとって(その後責任感倫理観のある良いブリーダーさんをインターネットで仲介を受けてびすけを飼い始めることかできて幸せだ・・)
いつか何頭も飼えるようなことがもしもあったらその時はもっと里親探しに獣医師会がかつやくしてくれたらともおもっているが、それだけでなくいのちをまもるための様々な取り組みや組織的法律的変更を緊急に必要としている現状を目の当たりにする。目に触れにくい命もすべて同じようにひとしく大切ないのちだ。
by 7thclouds | 2009-07-06 08:02