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キリストはいたのか?

クリスマスのたびに、キリストはいたのかという話になりますが、私はキリストは要するに医術も司法も調停も政策提案もなんでもできちゃうソクラテスみたいな人だったのだと思っています。
その人を称えるために色々な権力維持示威行為との関係でローマ帝国にキリスト教が、イスラムにはその人の出現を予言したアラーを称えるイスラム教ができた。イスラエルでは、旧約聖書そのものの世界つまりカナンの地に生まれたサマタリアンがどの様に迫害されたか、悲惨で不合理な民族迫害を受けたか、そしてどう考えても納得のいかない悔しい気持ちでエジプトを追われたかを描きつつ自分たちの土地住処を奪われても民族の誇りと強い意思を失わない事が描かれています。

イギリスのChannel4によればある研究チームがキリストのデスマスクを綺麗に保存しています。それによるならば、キリストは腰までの長髪の、目が瞳がとても大きく、ほりが深く、その顔つきは旧イスラエル現イスラエルパレスチナ中東地域一体のの生まれであるとみられているとの研究があります(channel4)他方骨格などはともかく肌の色までは研究の中の推論ですので争いのあるところでまたそのデスマスクについて争う人たちもいるようです。

12月24日がその人キリストの誕生日という事で、そろそろイスラエル内パレスチナ自治区のベツレヘムに世界中の人人が集まっている頃かと思います。私も2005年に訪れました。
まさに保存に力を入れるしかないような素朴な厩がそのまま残されています。

その人は世界中の人の心を震わせるほどの普遍的善をごく普通に行いました。
そして世界中の人々が善に生きようという意思と願いを温め続けてきました。

その事はこの地球をこの不思議にも広い宇宙でたった一つだけ多様な生命がタンパク質とカルシウムなどで構築された肉体を持ち(人の場合)助け合い支え合い生きている事を支えているように思うのです。

助け合い支え合い生きる事は実はあらゆる人たち生き物が生き延びるためにも合理性があります。
その事を支えるのは互いの支え合い利他が活かし合う愛と信頼、何よりも互いが善に生きる信念です。

その事を地球の信念とした人がキリストであり、だからこそ地球は私たちは絶滅せず皆助け合い生きています。

そのような善を生きる信念を確認し大切に思う、そういう記念の日として、クリスマスはあるのです。

そして、キリスト教イスラム教ユダヤ教(Judaism)などが、それぞれに、キリストが善をローマ人エジプト人イスラエル人など幅広く人種を超えて普遍的に善を生きたことを、普遍的な人種を超えた生き物の種類を超えた人権保障権利保障人道主義保護と福祉よりよく生きる生の質の向上それぞれの自由と自己決定の促進と尊重人命生き物の命の尊重の観点などを2000年以上にも渡り伝え続けてくれています。

そのことにも感謝しつつ、宗教の持つ持たないにかかわらず、善に生きる生きようという信念の元、キリストはいないと思う自由、キリストやいかなる宗教も信じないという自由を含め、宗教上の違い性別思想信条の違い門地の違いなどによらず、差別なく全ての人が生き物が安心して平和のうちにそれぞれの意思と自由を持って暮らし、人々が社会保障教育福祉を等しく質を持って保障される社会でそれぞれの善を生きることをなさしめる環境を大切に育むこと、差別のない、暴力のない、人権制限を国が法で定める事のない、そんな世界を目指す事、そのような生き方の指標そのものを、世界中の人々がこれからも大切にする世の中であり続けるよう、クリスマスにいつも願うものです。

日本では天皇誕生日の明日、2012(平成24)年12月24日
by 7thclouds | 2012-12-23 21:11 | 雑感